今回のTogetherプロジェクトの一環として、
先日ロスインゴ結成からの歴史を見ることが出来る
その名も『Hisotory of LOSINNGOBERNABLES de JAPON』が
新日本プロレスワールドにて配信された。
ロスインゴファンなら必見の映像であることは間違いない。
結成から約5年、今回改めて映像を通して見てみると、
メンバーそれぞれの変化やお客様の反応の変化などが良く見てとれる。
5年前、内藤哲也がまだ一人の時に最初の叫んだ、ロスインゴのマイクには
お客様の反応が全くと言っていいほど無かった。
それはEVILが初登場した時も同様で、最初はあのヤングライオンが変化した姿とは
気づかなかったような反応であったと感じた。
その後すぐにBUSHIも加入となり、ユニットの体を成してきたわけだが、
まだ現在のような人気を獲得していたわけではない。
当時はヒール色が強かったという事もあり、会場は基本的にブーイングであった。
この当時のヒール色の強いロスインゴも個人的には好きだが、
やはり現在のような人気ユニットとなるきっかけは、
内藤哲也がIWGPヘビーをはじめて獲得した2016年の春の両国であろう。
この試合ではSANADAが初登場し乱入してきたわけだが、
すでにファンはヒールのそれを見ている反応ではなかったと思う。
当時の対戦相手のオカダがヒーローであれば、
内藤哲也率いるロスインゴはダークヒーローである。
世間は常にヒーローを求めているが、それと同様にダークヒーローも求めている。
特にプロレスファンはその傾向が強いように思う。
当時は会社からプッシュされているとオカダが言われていたこともあり、
その対立軸としてファンは内藤哲也を求めたという事だろう。
この時をきっかけに、正義でも悪でもないロスインゴの世界観が完成に近づいた。
そして圧倒的な人気を獲得していったロスインゴの勢いに拍車をかけたのは、
高橋ヒロムの加入であろう。
唯一無二の世界観を持つヒロムの加入で5人となったロスインゴは
完全体となりそこからピークを迎えるわけである。
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ここまでが2016年の出来事であるが、
今振り返ると内藤哲也にとっては怒涛の2年間ではなかっただろうか。
内藤哲也はロスインゴをメキシコから持ち帰る決心をしたわけだが、
それが新日マットで受け入れられるかは全くもって未知数であっただろう。
まして当時は彼にとっては大逆風が吹いていた頃である。
その持ち帰った勇気、それを続ける勇気があったからこそ現在の地位があるのだろう。
また最初に加入したEVILの勇気や覚悟も相当なものだろう。
ヤングライオンの海外遠征からの凱旋帰国は、
そのレスラーにとって今後を占う大変貴重なものである。
それを当時まだ一人であった内藤哲也についていく決心をしたEVILは
もしかすると内藤哲也以上の覚悟があったかもしれない。
BUSHIそしてSANADAもご存知の通り、もともとは他団体の出身だ。
そして加入当時はBUSHIは欠場明け、SANADAは所属団体を退団しフリーであった。
この二人もまた退路を断って、内藤哲也、ロスインゴにかけたという事だろう。
少し毛色が違うのは高橋ヒロムである。
もともと内藤哲也とは師弟関係にあった。
ロスインゴ加入は既定路線であったかもしれないが、
ヒロムが他のユニットにいる姿は全く想像できない。
ヒロムにとっても、ロスインゴにとっても必然であったという事だ。
今回の配信を見た感想を一気に書こうと思っていたが、少々長くなったので、
絶頂期を迎える2017年以降に関しては、次の記事に書く予定だ。
私事だがやはり好きなユニットの事を書いていると筆が進むと感じた。
次回記事も良ければご覧いただけると幸いである。
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