先日新日本プロレスより上記のニュースが発表された。
それは今週の週刊プロレスは内藤哲也のデビュー15周年の大特集がある、
というニュースだが、過去にこのような一選手の周年特集などはあったのだろうか?
もしあまり前例にないモノであれば、やはりプロレス界において、
内藤哲也という存在は特別なものであるということだろう。
さて内藤哲也はデビュー15周年を迎えたということであるが、
正直に言うと私は新日本プロレスを追いかけていない時期もあったので、
全てを見ているわけではない。
現在記憶に残っているのはLIJ以降の内藤哲也であると言っても過言ではない。
そんな私であるが当記事では今回デビュー15周年を迎えた
内藤哲也のことを書いていきたいと思う。
思い返してみると新日本プロレス、もっというとプロレスから離れていた
私をもう一度プロレスに呼び戻したのは内藤哲也かもしれない。
正直そのころはドラゴンゲートをたまに見るくらいで、
新日本プロレスの知識はあまり持ち合わせていなかった。
そんな中新日本で内藤哲也が面白そうなことをやっていると知り、
見てみたのだが、それが私の琴線に触れたのだと思う。
元来ヒール好きではあるがLIJという概念を新鮮に感じたのだろう。
昔私が見ていたころのNWOのようなものかと思ったが、どうやらそうではなかった。
それはヒールでもベビーでもない、制御不能という概念。
具体的に言うとやりたいことをやりたいようにやるということだ。
この内藤哲也による新しいアプローチは、私だけではなく多くのファンに響き
一大ムーブメントを巻き起こし、内藤哲也は時代の寵児となった。
現在まで続くその後の活躍は皆さんもご存じのことだろう。
そんなLIJの内藤哲也の最初のピークはやはり初めてIWGPを獲得した
2016年4月の両国でのオカダ戦だろうか。
会場のすべてを手のひらに乗せた内藤哲也は、
SANADAが乱入しても、手に入れたベルトを放り投げても大歓声を浴びた。
分かりやすく言うと今のEVILのファイトスタイルに近いわけだが、
ブーイングを浴びているのではなく、大歓声を浴びているのだ。
こういうとより当時の熱狂がわかりやすいのではないだろうか。
そして内藤哲也の次のトピックスと言えば、
それはやはり2017年のG1優勝ではないだろうか。
あの伝説と言っても過言ではないケニー・オメガとの決勝戦。
個人的に何十回見たかわからないほど見ているが、何度見てもいいものはいい。
試合後のマイクパフォーマンスも含め会場が多幸感に包まれたことを
記憶しているファンも多くいるかと思う。
この瞬間内藤哲也は本当の意味で、自身が求めてやまなかった
新日本プロレスの中心に立ったと言えるだろう。
ではなぜ内藤哲也は大ブーイングを浴びていた本隊時代から一変し、
ここまでファンの支持を得ることが出来たのだろうか?
それは時の絶対王者オカダカズチカや木谷オーナーという権力側に楯突き
それまで誰も口に出すことが出来なかったことを行動で示したからではないだろうか。
そしてその行動を多くのファンが自らに投影し共感したことで、
一気にファンをつかみ取ったということである。
しかしこのあたりまで内藤哲也はアンチテーゼを掲げる側であったが、
時代の中心に昇りつめたことにより、図らずしも今度は自分が体制側となってしまう。
つまりそれはこれまでは何かに楯突き、そして追いかける側であったが、
いつしか追われる側の立場になったということである。
これはトップに立った選手が経験することであることだが、
2018年ころは内藤哲也にとってもジレンマがあったのではないだろうか。
きっとその思いがあの2冠王者発言につながったかと思うが、
ここまででかなりの文字数となってしまったので、
この先2019年以降の話は次回記事に書いていきたいと思う。
そちらもご覧いただければ幸いだ。