(出典:新日本プロレス)
昨年末に新日本プロレスの社長に就任した棚橋弘至。
社長就任後もNJPWTV王座を獲得するなど、依然として新日本プロレスのリングで
活躍を続けているが、そんな新社長が先日更新されたPodcastで退団するオカダへの
思いと過去にあったアメリカからのオファーについて語った。
そこで今回の記事ではその話題について進めていきたいと思う。
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(ポッドキャストはこちら)
https://www.njpw.co.jp/wp-content/uploads/2024/01/podcastoff281__.mp3
今回のポッドキャストの中で棚橋弘至はオカダ退団の経緯に関しての
詳細を語っているが、それによると発表される前日の18日にオカダが事務所を訪れ、
木谷オーナー、そして菅林会長に対し、退団を申し入れたとのことだ。
社長である棚橋は取材のため少し遅れて入室したとのことだが、
そこには泣いたあとのオカダの姿があったようだ。
その光景を見て棚橋弘至はこのように感じたと話している。
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ひと通り話は終わってたけど、オカダが泣いたのがすぐに分かった、目が真っ赤でね。いろいろと葛藤があるじゃないですか。寂しさや恩義を感じての涙だったのかな
そして今回のオカダ退団に関しての棚橋弘至の想いをまとめると
このような思いであるようだ。
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僕も新日本に入っていろんな選手を送り出してきた。免疫がないわけではない
誇らしい気持ちです、中邑の時と一緒で。一緒に戦ってきた選手が米国で大活躍してくれたら、新日本ファンも“あれは新日本のオカダだせ!”と言える。中邑と同じ36歳(での決断)。一気にトップに行ってほしい
プロ野球でも有望な若い選手がメジャー指向で実力を試しに米国に行く。これはイチ競技者として抑えられない欲求
これらを見る限り、棚橋弘至は今回のオカダの退団に対し、理解を示しており、
一競技者としては抑えられない欲求であるとしている。
例にもあるように日本のプロ野球で成功した選手はメジャーリーグへと向かうことが
昨今ではスタンダードになったところだが、オカダに関しても新日本プロレスでの
功績を考えれば、より高みへと向かうことは必然であるということだろう。
それを思うと新社長としては痛手かと思うが、快く送り出してあげたいと思っているはずだ。
またそんな棚橋弘至にも過去アメリカからオファーがあったようである。
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僕もあったんですよ、実は…米国からのオファー。06年、07年ぐらい
日本がいい状況なら踏ん切りついたかもしれないけど、まだまだ新日本は先が見えない状況だった。変な使命感があって、日本で盛り上げられないヤツが米国で通用するかよ!と自分自身を納得させた
2006、7年といえばまさに俗に言う暗黒時代と呼ばれる時期であったかと思うが、
その当時棚橋弘至はアメリカからオファーを受けていたとのことである。
時代を考えると棚橋にオファーした団体はWWEであると思うが、
世界最大の団体からのオファーを受け、いろいろな葛藤があったことは
想像に難くないところである。
上にもあるように結果的に棚橋弘至はそのオファーを断り、
現在は社長にまで登りつめたわけだが、もし彼がWWEに行ったとしたら
どのような未来が待っていたのだろうか。
明日2月から基本的にはオカダ・カズチカという大黒柱が抜ける新日本プロレス。
これから先どの様になるかは、残された選手たちの頑張り次第だが、
はたしてどんな景色が待っているのだろうか?
期待と不安を交錯するところだが、当ブログとしては引き続き新日本プロレスを
微力ながら応援していきたいと思う。