ひーじゃープロレスブログ

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【新日本プロレス】 内藤哲也と棚橋弘至の15年 ~エースとカリスマの物語~

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9.20大阪大会、G1クライマックス30 Bブロック公式戦で

シングルでは3年ぶりに戦った、内藤哲也と棚橋弘至。

 

 

結果はご存じの通り、現二冠王者内藤哲也が棚橋弘至に勝利した。

この試合は一見棚橋弘至が内藤哲也を追い詰めていたように見えたが、

終わってみれば、王者は最後まで余裕を残していたのではないかと感じた。

 

 

これが試合後の棚橋弘至のコメントにあった、

内藤の背中は遠いということではないだろうか。

 

 

 もはやエースの手の届くところには、制御不能なカリスマとなり、

新日本プロレス、ひいてはプロレス界を牽引する内藤哲也はいないのか?

 

 

ここまでの二人の約15年に及ぶ物語を振り返りつつ、

そのあたりのことを考えていきたいと思う。

 

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まず二人のデビューは棚橋弘至が1999年、そして内藤哲也が2006年と

7年の開きがある。プロレス界で7年の違いは想像以上に大きなものがあるだろう。

 

 

現に内藤哲也が2006年5月にデビューした直後の同年7月、

棚橋弘至は初のIWGPヘビー級王者を戴冠している。

そして翌年の2007年、G1を初制覇を果たしている。

 

 

デビュー直後の内藤哲也にとっては、キラ星のごとく輝く棚橋弘至は、

まさにあこがれの存在であったのは言うまでもないだろう。

 

 

2007年当時と言えば、俗にいう暗黒時代と言われる年代だが、

その後棚橋弘至は新日本プロレスV字回復の立役者、象徴として

さらにその存在感を増していくこととなる。

 

 

また内藤哲也もスターダストジーニアスという称号を得て、

瞬く間に頭角を現すこととなった。

 

 

デビュー5年でのIWGPヘビー級挑戦、

そして7年でのG1優勝というスピード感は、期待の表れと言えるだろう。

 

 

しかしここで内藤哲也にとっては思わぬ予想外ともいえる出来事があった。

それは2012年からのオカダカズチカの台頭、

そして全国のファンからのブーイングである。

 

 

2012年、レインメーカーと謳われた若き24歳の天才は、

まさに瞬く間に、象徴である棚橋弘至を破り、時代の頂点に立った。

 

 

そしてその後のIWGP戦線は、皆さんもご存じの通り、

数年間オカダと棚橋弘至のストーリーが中心となり続いていくことになる。

 

 

つまり内藤哲也から見れば、他団体から来た後輩が、

自分の見えないところから瞬く間に、自分を追い抜いていったわけである。

 

 

この出来事は棚橋弘至の次のエースと期待されていた男にとっては、

耐え難いものがあっただろう。

 

 

それと時を前後して、内藤哲也は全国のファンからブーイングを浴びることとなる。

当時の内藤哲也は、まだ制御不能なカリスマではなく

スターダストジーニアスの時代である。

 

 

つまりファンがヒールに送るそれではなく、

純粋に支持されていない意味でのブーイングであるということだ。

 

 

2014年、棚橋弘至が再びIWGP王者に返り咲いたことを思えば、

もしかするとこの時期が、内藤哲也が台頭後

最も差が開いた時期と言えるかもしれない。

 

 

そしてついに二人の関係の分岐点となる2015年がやってくる。

内藤哲也は全てを変えるため、メキシコへ渡り本家ロス・インゴベルナブレス

に参画し、日本にそれを持ち帰った。

 

 

それが現在も続く大人気ユニット、

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの源流である。

 

 

その後の活躍は皆さんもよくご存じのことであろう、

まさにそのロスインゴの精神は時代を一気に掴み、

棚橋でもない、オカダでもない、内藤哲也独自の世界を築き上げた。

 

 

ブーイングは大歓声に代わり、全国どこの会場でも内藤コールが巻き起こり、

そして多くのファンが、大合唱を期待する風景が当たり前のことに変わった。

 

 

その結果内藤哲也は2年連続プロレス大賞を獲得し、

そして自身の夢であったIWGP王者、ドームのメイン出場、

またドームのメインでの勝利とすべてを叶えることとなった。

 

 

それはつまり棚橋弘至になりたかった男が、その希望捨てて、

全てを手に入れたということである。

運命とはまさに皮肉であると言わざるを得ない。

 

 

その内藤哲也がカリスマへと昇りつめる時と前後し、

エースである棚橋弘至は、徐々にコンディション不良にも襲われ、

徐々に下降線をたどることとなる。

 

 

二人のプロレス人生をグラフにすれば、

ここで交点が出来たということになる。

それはつまり、ポジションが入れ替わったということに他ならない。

 

 

そしてさらに時は過ぎ、2020年二人の距離はさらに広がったと言えよう。

2冠王者として2本のIWGPを保持する内藤哲也。

そしてシングル戦線では結果の出ない棚橋弘至。

 

 

悲しいかなこれが今の二人の現実である。

それらを一気に取り返すために今回のG1の内藤戦に、

棚橋弘至は全てをかけていたと言っていいだろう。

 

 

内藤哲也のコメントにもあったように、他の試合は全敗でもいいから、

この内藤戦には勝利するという意気込みであったかと思う。

 

 

しかし現実は棚橋には微笑まなかった。

内藤哲也の背中は遠い、これは棚橋の本音の部分であろう。

 

 

もしかすると今のようなポジションでは最後の戦いとなるかもしれない

この運命の戦いを終え、棚橋弘至は、そして内藤哲也は何を思っているだろう。

 

 

内藤哲也と棚橋弘至の15年に及ぶ物語はひとまず

ここで一区切りとなるかもしれない。

そんな風に思うと、多くのファンは切ない思いでいっぱいであろう。

 

 

しかし時代は巡り、いつかは内藤哲也も同じ立場になるはずだ。

もしかするとその時に改めて内藤哲也は棚橋弘至の偉大さを

知ることになるのかもしれない。

 

 

そう考えるとエースとカリスマの物語は、

今後も形を変えて続いていくと言えるだろう。

 


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