(出典:東洋経済PLUS)
近年、売上という面でも急成長を見せている新日本プロレス。
それは上のグラフをみても一目瞭然である。
2012年のブシロードによる買収を契機に業績はまさに右肩上がりである。
前年2019年の売上高は54億円までに伸長しているということだ。
それは10年弱で5倍以上という圧倒的な業績の回復である。
そこで今回はその業績回復とそれを牽引したレスラーとの
相関関係について考えてみたいと思う。
では最初に近年のIWGPヘビー級の変遷を見てみよう。
新日本のエースである棚橋弘至の初戴冠は2006年7月であり、もう13年近く前の話だ、
その後の5年間は棚橋、中邑真輔を中心に比較的細かい移動を繰り返している。
そして棚橋が当時の連続防衛記録を作ったのは、2011年1月~2012年1月のことだ。
これはさまざまなところで語られていることなので今更の話だが、
今の新日本復活の礎を築いたのは間違いなくこの男である。
そしてレインメーカーショックと言われた、
オカダカズチカの初戴冠は2012年2月である。
そこから約3年間は、オカダ、棚橋、AJスタイルズの3強時代が続いている。
このあたりで新日本プロレスはブシロード傘下になるわけだが、
今から思うと復活へと導くためには
その象徴となる新しいエースが必要であったということであろう。
俗にいう2億円プロジェクトだが、そう思えば合点がいくところである。
新しい新日本を見せるために、新しいアイコンをつくることは、
ビジネス的にも王道であると言える。
そしてしばらくの間ライバルストーリーを紡ぎだしつつ、
徐々にオカダへとシフトしていく。
これもまたファンを納得させるためには、必要な期間であったと言える。
そしてそのような時を経ていよいよ2016年からは、
オカダカズチカの1強時代であると言えるだろう。
それが現在は少し様相が変化し、
内藤哲也を筆頭とした4強時代へと移行している。
改めてチャンピオンの変遷と業績回復を紐づけて考えてみると、
棚橋弘至の凄さがよくわかると言える。
最も大きな功績は第三世代が中心であったフェーズから、
今のスタイルへとつながる新日本への転換を成し遂げたということであると思う。
そしてそのバトンをオカダが引き継ぎ、さらにブラッシュアップさせたわけだ。
しかしただ一人チャンピオンの期間は短いが、
新日本復活に大きな貢献したレスラーがいる。
そう、現在の2冠王者でもある制御不能なカリスマ内藤哲也である。
内藤哲也がIWGPチャンピオンであった期間は、
現在を除くと前回戴冠時のわずか2か月程度でしかない。(2016年4月~6月)
しかし長期間にわたり個人としての会場人気は常に一番であり、
所属しているロスインゴはユニットとして圧倒的人気を誇っている。
またグッズ販売などの直接的な貢献のほかに、
彼を入口として新日本を応援するようになったファンも多いはずである。
ここまでを整理してみると、新日本が復活となったキーパーソンは、
時系列順で棚橋弘至、オカダカズチカ、内藤哲也と言えそうである。
これに異論のあるファンはおそらくいないであろう。
また視点を未来へ向けると、年齢などを考えれば近い将来
棚橋弘至、内藤哲也の二人は最前線から一歩退くことになるだろう。
そうなれば彼らに代わる新たな牽引者が必要となるはずだ。
そう、レインメーカーショックを起こしたオカダカズチカのような。
それがオカダカズチカ世代である、30代前半の選手なのか。
それともジェイ・ホワイトを筆頭とした更なる若手の世代からなのか。
今現在は緩やかなその移行期間と言えるかもしれない。
そしてその世代交代さえスムーズに進めば、
新日本プロレスはさらに大きくなるはずである。
その時はマーケットも日本だけというわけではなく、
本当の意味で世界規模に広がっているだろう。
そして新日本プロレスはこれからも浮き沈みはあれど、
アントニオ猪木を筆頭とした先人たちから受け継がれてきた歴史を、
紡いでいくはずである。
その浮き沈みを含めたストーリー性こそが他のスポーツにはない
プロレスというジャンルのの最大の魅力ではないかと思う次第である。
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では今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました