諦めない限り、可能性はゼロではない。
(出典:新日本プロレス公式)
10月25日(金)にスマホサイトにて、
内藤哲也の日記が更新されました。
(リンクはコチラ)
今現在、沈黙を続ける内藤哲也ですが、こちらでは史上初の2冠王を
諦めないという強い気持ちが
つづられています。
内藤哲也のファン、アンチの方も含め
ぜひ読んでいただければと思います。
どれだけ熱い気持ちかというと、
『諦めない』(同義含む)
というワードが、
文章中になんと15回も出てきます。
表向きには沈黙をしておりますが、
本当の胸の内はここに記されて
いるのではないでしょうか?
この日記をみて、
胸が熱くなったファンは僕を含め、
きっと多数いたのではないでしょうか?
夢を諦めないことで、夢を掴んだ男
これは有名な話ですが、
15才当時の内藤哲也少年は
3つの大きな夢を立てます。
その夢とは
①新日本プロレスの選手になること。
②20代のうちにIWGPヘビー級の
チャンピオンになること。
③東京ドームのメインに立つこと。
②に関しては20代というところは
叶いませんでしたが、
それを除くと、
これまでに全て達成しています。
しかしながらその道のりは、順風満帆というものではありませんでした。
そもそも入門テストを受ける、
プロレスラーになる前提で
浜口ジムに通っていたのは、
皆さんご存知かと思いますが、
そこでのスパーリングでの大けがなどで
3年連続受験を断念しています。
しかしそこで諦めなかったからこそ、
新日本プロレスの
厳しい入門テストに合格し、まずは夢の第一歩を掴んだわけです。
これも内藤哲也の強い諦めない気持ちがあったからこそでしょう。
そして2つ目の夢のIWGPヘビーの
獲得ですが、
こちらも苦難の道のりであったのは
皆様もよく知っているかと思います。
入門後は、『スターダストジーニアス』と呼ばれ、順調にスターの道を歩み、
憧れである棚橋選手の後継者、
次期エースと呼ばれていました。
しかしそこから、膝のけが、そして
お客様からの強烈な反発を食らい、
内藤哲也しか経験していない、G1を優勝しながら、ドームのメインに立てない
という屈辱を味わいました。
(2014/1/4 東京ドーム ファン投票の結果にてセミに降格)
またそれと同時期に、
オカダカズチカが現れ、
あっという間にIWGPチャンピオンまで
駆け上がりました。
つまりその時点では、
ファンの支持も失い、
そして棚橋選手の後継者という
地位も失くしてしまいます。
しかし内藤哲也は
ここでも諦めなかったのです。
2015年、自分を変えるために
メキシコへ旅立ち、
現在では大人気ユニットとなった、
ロスインゴベルナブレス(当時)
を立ち上げます。
その後の活躍は改めて
言うまでもないですが、
皆様ご存知のように、
ファンの絶大なる支持を集め、
とうとう2016年4月に
IWGPチャンピオンとなりました。
ベルトを放り投げる姿や会場の空気感など、
今見ても素晴らしい一戦であると思います。
そして、宿敵オカダカズチカから
獲得したことは、
何かの因縁なのかもしれません。
これも最悪の状況になっても諦めずに
行動した結果であると思います。
そして最後の夢ですが、これも2017年にG1優勝という結果を残し、
実現することとなります。
優勝決定戦は、
あのケニーとの戦いでしたが、
こちらも何度見ても鳥肌ものの戦いです。
初戦の飯伏戦も含め、心が折れる、
そして諦めそうになったことも
あったでしょうが、
こちらも最後まで
あきらめなかったことで
もたらされたものであるでしょう。
こうして内藤哲也は
強い諦めない気持ちをもって、
少年時代に掲げた3つの夢を達成した訳です。
新たな夢
そしてすべてを掴んだ
内藤哲也が掲げた、新たな夢は
『史上初のIWGPとICの同時載冠』
つまり2冠王になるという事です。
これを言い出したのは今年のドームですが、
10か月後の今は想定通りではなく
丸腰の状態です。
つまりG1も取れず、
ベルトも保持していない状態です。
普通に考えれば大ピンチですが、
本人が諦めないと言っているのですから、
ファンとしてはその言葉を信じ
応援するしかありません。
ダブルドームが終わった時、
史上初の2冠王に輝いている
制御不能なカリスマの姿を見る為に・・・。
そこにはこれまで見た事のない景色と
内藤哲也が見れるのではないでしょうか。
僕も諦めないという心をもって、
生きて行こうと思います。
最後までありがとうございました。